感覚としてフィーリングシグナル

縷々として感じたことを。日々の叙情や詩を綴ります。

日々を縷々として書留ます。

四月

春。

 

眠れずに朝を迎え鏡の前に立つ。

生気を失った青白い自分の顔に嫌気が差す。

 

四月。春。

なんだか自分は春に固執している様に感じられる。

 

大嫌いで、愛おしい、春。

 

勝手に新しい何かに期待して、

勝手に裏切られた気分になってしまう春。

 

 

いつか自分は特別な何かになれるのではないかと勝手に妄想してしまう。

自信も能力もないのに。

きっと、そう願う事で、自分に言い聞かせる事で自我を保っているんだと思う。

そうでないと、もう此処に立っていられなくなると思う。

 

普通になりたいと思っていた。

でもそれも難しそうだ。

「普通って何?」そんな風に考えられること自体が羨ましい。

普遍的なことに疑問符を打たず、当然のことを当たり前に享受する、

そんな風に自分も生きていたかった。

 

でもそんな生き方は自分には無理みたいだ。

 

それならばもういっそ特別でありたい。

誰かにとっての?

違う、自分にとって。

 

自分自身を誇れる自分になりたい。

 

そう感じる春。

春は未来を夢想させる。

そんな春が大嫌いで、愛おしい。

 

おはよう、おやすみ。

どうかこれから先の未来が良いものでありますように。